難病の始まりと現状の介護経過
30代の時に親の在宅介護でなぜ私は離職の道を選んだか?
このお話は私と親の闘病生活日記となります。
この記事はリアルタイムで継続して更新してお話していくので長くなる為、続き物の日記だと思って読んでいってください。
※過去の話なので少し記憶がさだかではない事もありますがご了承ください。
まず親が今の難病と気付いたのは2010年の頃だったと思います。
その日は突然やってきました・・・
ある日の早朝に突然ドアのノックする音が聞こえてきたのです。
私はその日も普通に仕事で、早朝だった事もあり少し怒り気味でドア開けました。
開けるとそこに親が立っていました。
しかし親の顔を良く見ると…その親の顔はいつもと違う普通ではない顔つきだったのです。
なにかに怯えている顔でした。
どうしたの?こんな朝早くに??
なんだかドキドキが止まらないんだよ
しかし、こんな朝方にそんなこと言われても思いとりあえず親をなだめ、症状が収まってなければ病院の受付が始まる頃に訴えて欲しいとこう言いました。
また、今日のAM8:00位に体調が悪かったら教えて!もし相当辛いならいつでも病院連れていくから
と言い私はまた眠りにつきました。
そこまで緊急な感じでもなく、救急車呼ぶ程でもなく、受け答えもしっかりして当人も朝まで様子みると言ったので、AM8:00頃に調子が悪ければそこでどう対応するか決める事にしました。
翌朝の親の身体の変化
そして朝、私は出社の為AM8:00に起きて親の様子を見に行きました。
容体を聞くと
全然眠れず、動悸が収まらないから自分で朝方総合病院に電話して、朝一で診察をお願いしたいと伝えた。
と、自分の判断で早朝に総合病院に電話をして受付の予約をしたとの事でした。
流石にこれは「ただ事ではない」と思い、まず自分の会社の上司にメールをして「親の調子が悪い」と打ち今日仕事を休む事を会社に伝えました。
そして私はそのまま、親を車に乗せて総合病院まで朝一に連れていきました。
この時親は60代半ば私は30代半ば位の頃でした。
親の在宅介護の病院のセカンドオピニオンの必要性
私は朝一で親が自ら電話で受診受付の予約をした、まぁまぁ大きい最寄りの総合病院に連れて行きました。
総合病院に着いたはいいが、さすが大きな総合病院だけあって朝一という事もあり、他の患者さんもいっぱい居て病院内は大混雑していました。
とりあえず受付に行き、親が朝電話して「受診受付の予約をしてある」と受付に伝えると、今患者さんがいっぱいの為、順番待ちしてくれとの事・・・
まぁ当日電話して、すぐ診てもらえるとも思ってなかったのでとりあえず待つことに…
総合病院の洗礼
基本的に総合病院は待って当たり前、そして診察10分で終わって、会計でまた長く待たされるというのが私の勝手な総合病院の思い込みです。(病院も大変なのはわかってるんですけどね)
しかし!そうこうしてる内にも親の容体は悪くなり手足が震え、動悸があり、心に不安があり、落ち着いていられない状態でした。
親も昔は元気で何一つ大きな病気もなく健康そのものだったので、この時は私も流石にびっくりしました。
まさかこの症状は「パニック障害」かな?と思いました。
当時はスマホも無く、待ってる間に出来る限りの事をガラケーで色々調べましたが、中々ガラケーだと調べられる情報が乏しく時間だけが過ぎていきました…
問診スタート
朝一で受付をしたのに診察の声がかかったのは、お昼前でようやく呼び出され診察をしてもらいました。
そしてやっとお医者さんとの対面になり問診から始まりと思っていたら…
はい!私の総合病院の傾向の予想通り10分で診察終わってしまいました。
そして親に診断結果を恐る恐る聞いてみました。
どうだった?
「単なる気持ちの不安からくる軽いパニック障害ではないのか」という診断だった…
「今日はこのまま家に帰ってゆっくりして、自宅療養してください」って言われた
パニック障害なのか?私自体そこまでパニック障害の情報が無く、こんな感じがパニック障害なのかなと思いながらも、病院をあとにする事に・・・
諦めきれない思いと診察後の行動
診察後は処方の薬も無く「そのまま様子をみてください」という言葉のみで帰されました。
しかし親は「いや今の状態はそんな軽い症状ではない!」と言い不安まっただの中・・・
まだ時間もお昼なので私はガラケーでまた色々調べて、その症状に詳しそうな病院を探し病院に電話をして、何件か当たってみました。
その中の一つが今からでも診てくれるというので、これこそ「藁にも縋る気持ち」でそちらの病院に急行しました。
この時すでに昼は回っており焦りと総合病院なんだからもっとよく診てくれと、悔しい思いをしながら車を走らせていたのを今でも思い出します。